静寂と、ことばの在処。

こころの奥処。 ことばの在処。 ことばの居場所を求めて。

おもてむきと内向き。

おもてむきのことばと、内なることばは違う。

使い分けることも大切です。

ここはわたしの軌跡なるものです。

ちっともおもてむきではありません。

正直、インスタグラムもおもてむきかどうかはわからない。

どうやらわたしはおもて向きが苦手なようです。

ことばのスケッチなるものをnoteで始めました。

けれど、インスタグラムがわたしのホームグラウンドであること。

ここはひっそりとこころを落とす休息所であることは変わりません。

そこはかとなく。

透明な日々を生きている。思えば、いつもおぼつかない足取りで生きていた。
だから不安は常にあって些細なことでもどん底まで落ちていった。
恋愛で傷を負えば、深く深く闇の底で呼吸さえ困難になった。
しろく、綺麗な部屋がぼくを守る唯一のものだった。
思えば正気を失くしたようになっていた。

あの頃の『笑』は、笑って生きていたい
そんな意味を含んでいたんじゃないだろうか。

風向きが変わったことを、ひとはいかにして知るのだろう。

風向きが変わったことをひとはいかにして知るのだろう。

 

今、何かが変わってきていることはたしかだ。

それは何かを求め続け、何かを手放したからだ。

きっと、根を張り続けていたのだ。

何年も、何年も。

 

求めよ。さらば与えられん。

 

ある人が座右の銘にしていたのだけれど、つくづくそう思う。

求めることは、本当に大事なことだ。

ときに求めることが苦しくなってしまうことがある。

それでも求め続けた人が、欲しいものを手に入れられるのではないだろうか。

 

何かを諦めることが、大人になると多くなることは確かだ。

 

それは、自分の状況ゆえ、自分の今の能力ゆえ、そして求めることを

やめるがゆえ。

けれど何かを掴みとったひとは、何かを求め続けた人だ。

何かを続けてきた人だ。

こころの灯火を消さなかった人だ。

 

自分にしかできないことをやりたい。

 

それは、ずっと絶やさないでいたいんだ。

 

一つ前に書いた

想いがある先に、掬われるものがある。

それはきっと、これからもわたしのテーマとなりうるのだと思う。

 

 

 

どうしても世界を愛で染めてしまう。

ぼくはどうしても世界を愛で染めてしまう。

 黒の愛も赤の愛も、哀も。

 

結局人間らしさみたいなところにきゅんとする。

みんなきゅんきゅんしたいんだ、結局のところ。

だから愛を欲しがるし、推しに夢中になったりする。

 

優しさも痛みも傷も快楽も全て人間らしい情動なのだ。

結局僕たちは感情から離れられない。

だって人間だから。

だから孤独がすごく怖いし、優しさに触れたいし、セックスがしたい。

 

 

誰かと生きるをこれほどに考えたことがなかったかもしれない。

きみは初めから、ぼくと長くいようという意思があったような気がする。

けれども孤独が怖いぼくは、その孤独できみを傷つけようとしてしまう。

 

もう一緒にいるはずなのに一緒にいたいな、、、ときみは何度か呟いた。

きみの中にまた潜りたい、きみはそう言った。

気持ちいいことがしたい、そう思ってもいいんじゃないだろうか。

 

孤独を恐れ、別離を恐れ、結局一人になることばかりを繰り返していた、

いくつもの傷を抱えて。

あきらめずにそばにいようとしてくれるきみがすき。

 

耳元で『愛してる』ときみはつぶやいた。

 

 

 

 

 

想いがある先に掬われるものがある

改めて書きたいと思ったのは、

書くことに挑戦したいと思ったのは、

 

待つ人がいるからだ。

書くことで評価されたいという思いがあるからだ。

言葉でつながっていたいと思うからだ。

そしてそこには、いつも想いがあるから、だ。  

 

想いがある先に掬われるものがあると思う。